硝子の指先















ある蒸し熱い夜、スコールの私室にリノアはいた。


だがもう真夜中だというのにも関わらず、静かな寝息も甘い吐息もその部屋には存在していなかった。冷房の効いた部屋でスコールは小さくボトルを傾け、残り 少なくなっていたワインを全てグラスに注ぎきる。リノアは赤い顔でぼんやりしてそれを見ていた。

ことの発端はゼルが帰郷の際に、ドールの知り合いから手にいれたドール原産の珍しいワインだ。口辺りが甘く爽やかで、香りも 良い。生産量が少なく人気もあるので少々値も張るが、ゼルはせっかくだからと4本手に入れてきた。もちろん知り合いのよしみで安くはしてもらったようだっ たが。

そのワインをみんなで飲もうとゼルから誘いがかかったのでいつものメンバーで飲むことになり、今はちょうど会場になったセル フィの部屋から引き上げてきたところだ。久しぶりの酒にはめを外して飲みすぎたかとスコールは額を押さえる。少しクラクラする頭でリノアを見れば、彼女も 赤い顔でぼんやりしていた。酒に弱いのに今日は彼女も少しはしゃいで飲んでいたために、限界を越えて眠たくなっているのかもしれない。部屋に一人で置いて おくには少し心配だったので、今日はスコールが自分の部屋に彼女を泊まらせるつもりだった。


「リノア、先にシャワー浴びてこい。」


スコールは引き上げてくる際に、あと少しだから持って行けとゼルに例のワインの残りをもらっていた。リノアに一声かけた後、 グラスに少しだが注がれたそれをじっくり味わおうと口に運ぶ。

しかしそれは叶わなかった。グラスを持ったスコールの鍛えられた腕に、小さな掌がそっと乗せられて止めたからだ。スコールの 静かな晩酌を(散々飲んだ後だが)邪魔した張本人は、赤い顔とうつろな目で彼を見上げていた。

いつにも増して頼りなげな雰囲気と、酒が入ったためか艶やかさに磨きがかかった彼女に心底慌てながらスコールは平静を装う。


「何だ?」

「……ん?」



首を傾げて逆に問う彼女の肩からさらさらと美しい髪が流れた。

同時に香る甘い匂いに、酔った頭が刺激されてスコールの鼓動が更に早くなる。


「飲み過ぎだぞ、リノア。」


彼女は彼の言葉を理解しているのか否か、静かにこくりと頷いた後にまたスコールを見つめ始める


「な……なんだよ。」

「スコール、かっこいいねぇ。大好きだよ。」


赤い頬で花のように微笑んでリノアが呟く

静かな部屋に空調の稼働音が響く。部屋の主はその人工的な涼しさがあるにも関わらず顔が赤らむのを止めようと必死だった。


「お前、本当に大丈夫か?」

「うん、平気だよ。ありがと。」


いつもとは違う少し酔った彼女は彼にとってはある意味でとても魅力的であり、またある意味で困った存在だ。白い頬に少し赤み が差して、自然の化粧をほどこされた彼女はとても可愛らしい。酔った彼女をどうこうするなどという無粋な真似はしたくないというのに、彼の若い故に火が付 きやすい本能は彼女の些細な仕草にも揺り動かされる。
段々窮地に陥っていく自分を感じながら、スコールはリノアを直視できないでいた。


「あれ?こっち向いてー。」


しかしスコールの心を全く知らない彼女は、自分から反らされた彼の顔を覗き込む。


「リノア、頼むから……。」

「何を、頼むの?」


頼むから無邪気に誘惑するのはよしてくれと言いたいところだが、彼女はその言葉の意味を理解出来ないだろう。

しらふの時でも彼女はその気がある。何度も注意したが結局のところ無意識であるためにちゃんとした彼女の理解は得られなかっ た。今は私室で二人きりのため、自分以外の男に可愛い彼女の無防備なところを見られないだけでもスコールにとっては不幸中の幸いだと思われる。
リノアはガーデンの男達の間でも人気が高い。スコールの恋人だということが彼らのストッパーになっているとはいうものの、リノアの無意識の仕草や言葉には 男心をくすぐられずにはいられないのだ。ガーデン内は守られた環境であるとはいえ、スコールはガーデンを離れた任務中には彼女の心配をせずにはいられな い。


「俺は酒が飲みたいんだよ。」


元を辿ればそういうことだったとスコールは思い出して言う。するとリノアは何を思ったか、グラスを持っていた彼の手を自分の 両手で包んだ。少し ひんやりとした彼女の両手の柔らかさにスコールは眩暈がする。


「半分ちょうだい?」


リノアの注意は彼の手にあるワインらしい。なんとか意識が反れたと一安心したスコールは、それでもリノアの様子を簡単に観察 する。ついつい目が言ってしまう赤くなった耳たぶやすんなりと細い華奢な手足を見ないように意識して、リノアの現在の様子だけを見る。やはりひどく酔って いるよ だ。泣き上戸でも笑い上戸でも無くごく静かな様子だが、いつにも増してぼんやりしている彼女は口調も少し幼くなっている。これ以上彼女を酔わせるのはも ちろん彼女にとってもだが、スコールにとっても良くないことは分かった。


「お前、今日は飲みすぎだから駄目だ。」


するとリノアは微笑みをすぐに引っ込めて、すねたような顔になった。両手はスコールの手をやわらかく包んだままだが、視線を 下に向けて眉根を寄せる。そんな可愛らしい様子もあえて気にしないようにしながら、スコールはリノアの様子を伺っていた。するとリノアは考え疲れたのか小 さくため息を付き、視線をスコールに戻す。

スコールが嫌な予感を感じた時には遅かった。
リノアはスコールの手を少し力を込めて握ると、酔いの涙に潤む黒い瞳で彼を見上げる。



「……お願い。」



今度は本当にクリティカルヒットだった。伝説のSeeDである彼の正気をここまで弄べるのは彼女だけだ。彼女にはその意志が ないので余計にたちが悪い。
スコールは自分が心底情けなくなりながら、正気を失いかけた自分を叱咤する。



「こんなにちゃんと頼んでもだめなの?」

「・・・半分だけだからな。」



まだ同じ視線で見上げてくる彼女を多少恨めしく思いながらも、今度こそスコールは諦めたようにリノアを真正面から見た。
とりあえずはこの密着しあった状態をどうにかしなければならないと考え、グラスをリノアに渡す。


「あは、わーい。」

「何がわーい、だよ。明日お前絶対二日酔いになるからな。」


リノアは嬉々としてグラスを小さく傾げるとワインを少し飲んだ。しかしすぐに眉をひそめると、スコールにグラスを返す。


「苦……。思いっきり、飲んだ……。」

「そういえばあんた、ジュースみたいなものばかり飲んでいたな。」


スコールは残ったワインを口に運んで静かに味わう。甘口といってもワインを飲み慣れないリノアには苦いだろう。下戸である彼 女はアルコール度数の低いジュースのようなものばかりを先ほども飲んでいた。リノアは期待していたものが裏切られ、あまりの苦さに涙を浮かべている。しか しグラスの中身がスコールののどを通ったことを確認すると、驚いた顔でスコールに問う。


「スコール、苦くないの?」

「ああ。任務先で飲みなれているからな。」


パーティー会場に潜入する任務は割合にして多い方である。その内わけは、諜報活動や護衛など のSeeD の得意とする任務がほとんどだ。リノアの頬がまた少し膨らんだのを見て、ス コールは眉根を寄せた。




「今度は何だ。」

「任務先で、可愛い女の子と飲んだりしてるんでしょ。」



スコールは脱力した。本来ならば女に全く興味が無い彼の正気をここまで弄んでおきながら、非常に酷なことをいう。リノアの華奢な指がスコールの指に絡ま る。もうどうにでもしてくれと言わんばかりに、スコールはリノアの成すがままにまかせた。リノアはそっとスコールの指先に口付ける。その感触に気が付き、 スコールは一つの大きな手と二つの小さな手を視界に入れた。

いつも驚かされる、自分とは全く違う作りのようにも見える小さな手。守ってやらなくては脆く崩れ去ってしまうような手だ。

ワイングラスがスコールの手のひらから滑り落ち、フローリングに当たって小さくひびが入る。
そう、この硝子の様な脆い手だ。


「スコール、危ないから触ったら駄目だよ。」


リノアは赤い頬にスコールの手を押し付けて、その感触を静かに味わい続ける。対してスコールは柔らかいリノアの頬を。
酔っ払って朦朧とする頭の中で、彼女は何を考えているのだろうか。
硝子の様に脆い指先で、彼の全てを感じようとするように、大切なものを慈しむ様な柔らかさで彼に触り続ける。
彼の手のひらに口付けて、またそれを自分の頬にあてがう。

可愛い可愛い彼女は、硝子の様な指先でそっと彼を感じ取ろうと触る。
彼は熱くなる体に気が付かない振りをした。


「スコールの全部、私のものにしたいなぁ。大好きなんだもん。」

「やれるものは全部やったつもりだ。」


リノアは嬉しそうに小さく笑う。


「私もね、心も体もスコールに全部あげちゃった。何も残ってないの。空っぽだよ。」


彼の全部は彼女のもので、彼女の全部は彼のものだ。しがらみが多い世の中で、真の意味でそうなることはとても難しい。
だがお互いにそうだと信じていれば、きっとそうであり続けられるのだろう。


彼女の硝子の指先も彼のもの。
彼女を守ることは彼自身を守ること。
彼女はとても脆いから、彼は簡単には守れないだろう。
だけど彼女はとても強いところもあるから、逆に彼が守ってもらうときもあるだろう。
その度彼は自分を情けなく思うのだけれど。


スコールはそっとリノアの唇にキスを落とす。
酔っ払った彼女は可愛くて、そして脆くて、彼は泣けるほど深い彼女との恋を確認した。










END