リズム
リノアがスコールの部屋に訪れたのはバラムの空が赤く染まる夕暮れ時のことだった。丁度私室で書類の整理を行っていた彼は、小さなノックと聞き慣れた恋人の声を聞いて立ち上がる。ドアを開けてみれば、自分の 顔が隠れるほどの大量のファイ ルを抱える彼女の姿。内心驚きながらもスコールはその半分以上を彼女の腕から取って部屋の中へ入るように促した。
彼女が持っていると重そうに見えるが、自分が持てばなんてことの無い量だ。顔が隠れてしまうようなことも無い。自分と彼女の 体の大きさの違いを再確認し て、スコールは少し顔が赤くなるのを感じた。リノアは運良くそれに気付かずに、小さく礼を言うとちょこちょこと部屋の中に入る 。
「突然ごめんね、スコール。悪いけど良かったらスコールの端末貸してくれないかな?」
ファイルを彼のデスクの上に一旦置いて、リノアは困った顔で振り返る。スコールは自分もデスクに向かいながら答えた 。
「別に構わないが、自分のはどうした?」「お仕事でダウンロードしたソフトのせいか事務室のパソコンと相性が悪くなっちゃったみたいで、ファイルがどうしても送れな いの。今日中にどうしても終わらせなきゃいけないから、ごめんね。ファイルはこのディスクにまとめたから後は送るだけなの。すぐ終わるから。」
ファイルというのは二日前に行われた年少クラスの健康診断の結果だ。魔女戦争終結の後、リノアはガーデンでカドワキ先生の補佐として保険員という肩書きで 働き始めた。現代の魔女という彼女の裏の肩書きはガーデンのごく一部にしか知られていない。いきなり世界にとって異質な存在になってしまった彼女は、孤独 を心の底に抱えながらスコールと供に生きる道を懸命に得ようとした。努力のかいもあってか彼女は仕事を覚えるのも早く、念願の「居場所」をやっと得られた のだとスコールに微笑んだのはそう昔のことではない。今や彼女は年少クラスの子供達の人気者で、保険員というより保育士のようだと彼女の友人たちも笑う。忙しい仕事だがやりがい は人一倍のようで、仕事や苦難 を通じて増えた経験のせいか彼女は急に大人びたようにスコールは思う。まだまだ子供のように振る舞うこともあるが、確実にリノアは前と変わった。それを嬉 しく思う反面、少し寂しく思うのはわがままなのだろう。
自分と出会ったあの頃の彼女を失いたく無いという、子供のようなわがままとスコールは自覚していた。
「本部に繋がる端末を持ってるのはSeeDだけだし、頼れるキスティスもセルフィも任務で出ててるし、シュウもアミー(三つ編みの図書委員)も今デート中 なの。邪魔はしたくない。他のSeeDの女の子達は咄嗟につかまらない。恋人がいる男の子の部屋には誤解を受けるから行けないし、独り身の男の子の部屋に 行くのは、恋人がいる私には難しい。そこで私は、今日の夕方から明日の夜まで休暇のスコールのところに行こうって思いついた。……っていう理由でい かがでしょうか。私室に恋人がやって来た司令官殿。」
つまり周りに何か言われたらそうしてと、リノアは悪戯な上目使いで人指し指を立てて提案する。スコールは呆れた顔をして肩をすくめた 。ガーデン内に彼らのことは知れ渡っているし何よりスコールに「何か」言える者も滅多にいないのだが、リノアはこのやり取 り自体を楽しんでいるように見える。
「お前昔俺の部屋に来ただろ。まだ独り身の頃の俺の部屋に。」
リノアはきょとんとした顔になり、嬉しそうに笑う。何がおかしいのかと視線で問うスコールに彼女は答えた。
「それって、私があの頃より思慮深い大人になったってことでしょ。」「平気で男の部屋に侵入できる程の子供らしい無邪気さはなくなったか?」
すぐにスコールから返った言葉に、リノアは眉根を寄せて少し怒ったように反論する。
「子供っぽい不用心さが無くなったって言って!だいたいね、男の前で油断すると危ないってことを教えてくれたのはスコールなんだからね!」
まったくもう、と腕組みをした彼女はくるりと振り替えってスコールの端末向かう。スコールは身に覚えがあり過ぎる彼女へのレクチャーに肩をすくめて反論を 諦めるとこっそり笑う。昔はリノアに一方的にまくしたてられて反論出来ないことはあったが、今のように一本取られることは皆無だった。それもまた彼女の進 歩なのだろう 。
「可愛くない成長だな、リノア。」「大人のお姉さんのお仕事の邪魔するスコールくんはもっと可愛くないでちゅよ〜。後でかまってあげるから良い子でね?」
お姉さん、と来たか。肩を震わせて笑うスコールを無視してリノアの指先がキーボードの上で軽やかに踊る。静かになった部屋の中で聞こえるのは、少 し開いた窓から吹き込むさわや かなバラムの風の音と彼女の小さくつぶやく声のみだ。ファイルを送る前に軽くチェックをしているのだろう。
「アンドリュー、身長155センチメートル体重45キログラム。視覚聴覚異常無し。偏食気味で・・・なあに?」
リノアは何かを書いたり打ち込んだり確認するときに、意識していない限り小声で読んでしまう癖がある。スコールはリノアの肩を軽く叩いてこちら側を向かせ ると人差し指を口に当てて「黙って」のポーズを取る。
「あ!」「・・・個人情報守秘だろ。お姉さん。」
顔を赤らめて、分かっているとむくれるリノアはまだ子供のようだ。こみ上げてくる笑いを必死で押さえつけている彼に気が付いて、リノアは拗ねたように下を 向くとクルリとまたディスプレイに向き直ってしまった。
「いいの。急がなくても私のリズムでこういうところも直すんだもん。きっとすぐに直るんだから。」
今度こそ黙って画面に集中し始めるリノアを見て、スコールは小さく「分かってるよ。」と返事をしてから自分も書類の整理に戻った。彼女の成長は彼女のリズムでいい。
遅くてもいずれはやがてリノアも大人になるのだろう。やはり寂しさはあるけれど、それよりも大人になったリノアもまた自分の 傍にいてくれるように願いなが ら、スコールはしばし背後から聞こえてくる小さなキーボードのリズムに耳を傾けた。
それから五分程経った頃、リノアはファイルの送信が終わったようでまだ書類の整理をしているスコールに声をかける。先ほどより少し赤みを増した夕日がガー デンを照らし、スコールの部屋も窓から薄いカーテンを通して入るその光で淡いオレンジ色に染まっていた。
「ありがとー、スコールくん。お姉さんのお仕事終わりましたよ。明日お姉さん休暇だから、お礼にどこか遊びに連れて行ってあげるね。」「それ、あんたがそうしたいんだろ。」
お礼といいながらデートの約束をちゃっかり切り出すリノアは、小さく舌を出してスコールに歩み寄る。彼も一旦書類から手を離してリノアを見ると、自分の 座っているベッドを軽く叩いて「隣に座れ。」と合図する。
「可愛くないなぁ。」「俺が可愛くってどうするんだよ。」
「どうするもこうするも無いけど、可愛い方がいいでしょ。」
「男に可愛いって人によるけど、俺は複雑だ。」
スコールがリノアの艶やかな黒髪を撫でれば、リノアは気持ち良さそうに彼にもたれかかる。リノアの白い頬は夕日のせいでオレンジ色に染まっていた。隣り 合った二人の鼓動や呼吸が合わさって絶妙なメロディーになる。スコールがそっとリノアに口付けると、彼女は嬉しそうに笑って自分もスコールの頬に口付けを 返した。彼の頬もオレンジ色だ。
「スコールいけないんだ〜。子供のくせに。」「お姉さん、さっき仕事が終わったらかまってくれるっていったよな?」
不敵な笑みと有無を言わせない腕の強さで、リノアを抱き寄せると今度は深く口付ける。朦朧とする頭で、リノアは自分を抱きしめるスコールの背中にしがみつ いた。高鳴る鼓動が頭の中で鳴り響く。
「スコール。」
愛しい名を呼ぶ声も甘く軽やかなリズムを刻む。
「リノア・・・。あんたもまだ子供だな。いくら俺でも男は油断大敵なんだろ?」
意志を持って触れてくるスコールから、リノアは体を捻って逃げ出そうとする。しかし力の入らない体とスコールの巧みな妨害で全く成功しない。余裕の笑みで スコールがリノアに軽く口付ける。
「おおおお、お姉さんは明日もお仕事があるので帰るー!」「あくまでお前は「お姉さん」か。お前明日は休暇なんだろ。・・・ああ、今日はそういう趣向でしたいのか?随分大人だな。」
「きゃー!なんてこと言うの!馬鹿!」
大人になりきらない彼らは、彼らのリズムで歩き続ける。大人に向かって時にはゆっくり、時には焦ったように早く。
結局高鳴った鼓動のリズムが落ち着いたのは、夜も更けた時間帯だった。なし崩しにされた「お姉さん」は盛大に、子供っぽく拗ねていたけれども。